音大出てないピアノの先生

プロフィール

はじめまして。岡山県総社市でピアノを教えているたきちゃん先生といいます。

ピアノが好き…な気持ちはあるけど、音大出てないからピアノの先生にはなれないと思い込んでいました。

そんな私が有難いことに、今大好きなピアノでお仕事させて頂いています。人生いろいろ…。ピアノライフもいろいろ…。それぞれのピアノライフを、応援します。

私のピアノ履歴書

幼稚園時代は、近くの小学校でしていたYAMAHA音楽教室のグループレッスンに通ってました。(昔は土曜日の半日授業の日に、午後から音楽室を貸し出してくれてたんです。)そこでの授業は、ちんぷんかんぷんで私は全然ついていけれませんでした。周りの子たちは元気いっぱい歌っているのに自分だけ分からない…あの不安は今でもなんとな~く覚えているもんですね。

そして、どうなったかというと…

親に全力で行きたくない!と言いました。分からない…それも自分だけみたいに感じる時って、自分がダメ人間のように子供の時って思ってしまいますよね。

そして、近所のお友達が通っていた個人のピアノ教室に通えることになりました。 距離はめちゃくちゃ遠くはなかったけど、家には車が無かったので、バスと電車を乗り継いで片道1時間半かかる道のりを、毎週日曜日に高校3年生まで通いました。帰り道にたこ焼き屋さんがあって、時々買ってもらえるのが楽しみだったなあ。

保育の道へ

高校3年生での進路決め。私は口では「音大に行きたい。」と言っていたので、親も音大受験に向けてのレッスンに通わせてくれました。大きなグランドピアノが2台もあり、受験生が一緒に聴音をしたりするピアノ教室。声楽。本当に今から思えば、贅沢な環境です!

でも、私は本気になれなかったのです。普通科高校の勉強と吹奏楽の部活。全部を頑張ろうとして、ピアノに向かうエネルギーがなくなっていきました。今、考えると何かを選べば良かったのになあ…と思います。(余談ですが、私の長男はさっさと大切なものを選んでいきます。いったい誰に似たのだろう?反面教師?)

ピアノの先生からは、そんな気持ちでは受験できない…とはっきり言われてしまいました。そして、ピアノが生かせる仕事として選んだのが、幼稚園の先生でした。

アラフィフで第2の人生スタート

保育の現場で、子供たちと過ごした日々は大切な宝物です。いろいろな子供たちと、たくさん遊びました。補助的な立場の時には、特別支援も経験しました。

自分の子育ても落ち着いてから、ピアノレッスンはスタートしていました。どんなに仕事が忙しくても、練習しないと落ち着かないぐらい好きな気持ちが復活してました。

心の中では、もっとピアノにかかわる時間が欲しい…と思いながら毎日を忙しくしてました。「ピアノの先生」が頭をよぎった時もありましたが「私には無理だ。」とあきらめていました。そんな時、その時習っていた先生が「そんなに好きなら、ピアノの先生になっちゃえば。」って言ったんです。

「え~!音大出てなくてもピアノの先生になれるんですか?」もう嬉しくて、自分の進みたい方向に光がさした~って感じでした。

ピアノと

そして、今は好きなこと2つも仕事にしています。ピアノと子供です。

幼稚園時代は1対1で話すことは、あまりなかったので子供たちと1対1で関わることに、新鮮な発見があります。その子の奥も見えてきて集団生活の時には、表面しか見えていなかったのかな…なんて思ったりもします。子供たちも、リラックスして身近な先生という感じです。

保育の現場から離れたことは、寂しくも感じますが、我がピアノ教室に来てくれている子供たちと真剣に深く向き合っていこう…と思っています。

子供たちに「ピアノが好き」と思ってもらえるように、日々奮闘中です。

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